メッセージの作り方


新学期が始まってなんだかヌルさが続く日々。

土日の遊びで終われずに月曜日が機能しない。そもそも祝日が多い。多すぎる。

飲み会したら大抵オールになって、タクシーで帰宅して寝坊。二日酔い。午前中終了。

 

もともと要領が良い方ではないのだ。友達に言われた。キャラと体質のギャップ。

憧れに基づく見せかけの像と実際の身体の問題。弱めに造られているのだから身分相応の行動をしないといけない。

 

就活の準備が始まって、周りの優秀な人にそそのかされて少しずつまた対策を始めている。味気ない。

 

女の子とはよく飲んでいるけれど、恋をする予感は全くゼロ。ゆうてセックスするモチベも機運も低め。

 

男磨きもっとストイックにならないと、と思いながらもなかなか進まない当初の計画。旅行で刺激を受けて本当はtinderでもなんでもすぐ初めて、メルカリでいらないもの売って、良いもの身につけたり、顔整えたり、筋トレしたりして磨きにかかる予定だったんだ。

 

何もやってない代わりにパソコンを買い替え、タブレットを購入し、ケータイを壊し、買ったばかりのbluetoothイヤホンのケースを無くした。

 

メモするデバイスやノートばかり増えて、何も実行に結びついていない。

 

 

という無価値な文章を生産する時間をそろそろ終了すべきだなと思ってきた。

 

明らかに自分の思考は前に進んでいない。過去の膨大なインプットから独自の思考や予測、独自の言葉に結びついていない。

 

人文科学も自然科学も過去の歴史や理論を学ぶのは、そこから次何がなされるべきか、どうあるべきかを考えるために求められていることであって、それができないようであれば好きなことに打ち込んでいる方がよっぽど生産的で幸福である。

 

 

視座を高く持つこと。これが強い人になるための大テーマである。

それでは、視座を高く持つためには一体何をすべきなのだろうか。

 

常に思考をこだまさせる必要がある。

過去の知識や経験を現在・未来のことを分析するためのフレームワークにするのだ。構造化する力を持つこと。

 

大学教授のあるある名言「これができて何が嬉しいかというと、、」

これが大事だ。何のためにやってて、なぜこれをやるべきなのか

なぜこのようなことが起きたのか

構造的に理解して受け入れて類推する力を持とう。

 

冨山さんの記事を久しぶりに読んでとても刺さった。

過去の事例から今の現象の枠組みを捉えることができて、それを支える他のファクトを用意できて、だからこそ独自の言葉(メッセージ)になっている。

 

メッセージを作れる人になろう。

 

そのためには、

物事の大枠を捉える(基礎的な理解を怠らない)

学び直し(構造化しなおす)